vol.77 たてしなップルワイナリー
井上雅夫さん

国際ワインコンクールグランプリ
海外での経験も豊富な醸造家

vol.77 たてしなップルワイナリー<br>井上雅夫さん<br><br>国際ワインコンクールグランプリ<br>海外での経験も豊富な醸造家

りんごの名産地、立科町初のワイナリー誕生

長野県の東部に位置する立科町は、南北に細長く、約6割を森林が占めています。南側は標高1500m超の山岳地帯で、女神湖や白樺湖、蓼科牧場や御泉水(ごせんすい)自然公園がある高原リゾート地として知られています。

北側は里山エリア。日本百名山のひとつ、蓼科山の中腹から湧き出た御泉水から、先人たちが40kmにわたって用水路を引き、今では豊かな実りをもたらす水田が広がります。晴天率が高く、日照時間が長いことに加えて朝晩の寒暖差が大きく、果樹栽培に適しているため、北西部にはりんご畑も広がります。
 

りんご畑は3ヘクタールあり、千秋、ふじ、シナノスイート、秋映、紅玉など、さまざまな品種が植栽されている
糖度を上げるため木上で完熟させてから収穫。風が吹いただけで木からりんごが落ちしてしまうこともあるが、それ以上に完熟から得られる芳醇な香りや味わいを大切にしている

豊かな風土で育った立科町のりんごは糖度が高く、果肉が引き締まっておいしいと高い評価を得ていますが、当然のことながら収穫の季節を待たないと味わうことができません。限られた期間だけではなく、そのおいしさをいつでも楽しめるようにしたいと立ち上がったのが「たてしなップル」です。

自社畑のりんごをジュースやドライフルーツに加工し、販売してきました。さらに「シードル文化を広めよう」と2019年に醸造免許を取得、「たてしなップルワイナリー」を開設しました。

りんご栽培に好条件の地ということは、ぶどうにとっても適地です。たてしなップルワイナリーは2020年、醸造所の横にワイン用ぶどうも植栽しました。今では2ヘクタールのぶどう畑でメルロー、マスカット・ベーリーA、ソーヴィニヨン・ブランが順調に育ちつつあります。
 

2020年に植栽した自社畑。3年後に収穫がはじまる。2020年から、安曇野市から仕入れたぶどうでワイン醸造をはじめた。現在、樽熟成中

ワイナリー立ち上げ請負人、醸造家になる

醸造責任者には井上雅夫さんを迎えました。国際ワインコンクールでの受賞歴があり、海外経験豊富な醸造家です。

井上さんは、もともと海外の百貨店で免税店の立ち上げに関わる仕事に就き、過去にはマンハッタンのトランプタワーに免税店をつくったことも。その手腕を買われ、日本のワイナリーから「カリフォルニアでワイナリーをはじめるので責任者になってほしい」と頼まれ、ワインの道へと進むことになります。

1989年、カリフォルニアの Sycamore Creek Vineyards(シカモア・クリーク・ヴィンヤーズ)の代表取締役最高経営責任者に就任。ワイナリー運営をしていましたが、その10年後、働いていたアメリカ人の醸造責任者が自分のワイナリーをもつため独立することになりました。

当時、醸造家の間ではカリフォルニアでワインを造ることは社会的地位があり、よい醸造家を雇うのはお金がかかることでした。そこで、醸造に興味があった井上さんは醸造家を招聘するのではなく、自分でワインを造ることにしたのです。
 


そして1年目。前の醸造責任者にワインの造り方を紙に書いてもらい、そのとおりに実践しましたが、いつまでたっても発酵しないのでおかしいと感じた井上さんは、電話で確認するものの「放っておいたら発酵する」と取り合ってもらえませんでした。

1週間が過ぎ、もう一度酵母を添加しようとタンクの蓋を開けると果汁が渦を巻き、シュワシュワと発酵がはじまっていました。「ああ、これは生き物だ!」と感動した井上さんは、ワイン造りに夢中になりました。
 

 
国際ワインコンクールの赤ワイン部門でグランプリ受賞

初年度はうまく醸造することができませんでしたが、翌年は「発酵は生き物。命あるものは丁寧に育てなければ」と、わが子を育てるように大切に醸造しました。発酵後も熟成の度合いに応じて、香りは立っているか、味に異変はないかと、その成長を見守り、異変を感じたら環境を修正して整えていきました。

そして2年目に醸造したメルローを2001年モントレー国際ワインコンクール(Monterey Wine Competition)に出品すると、赤ワイン部門でグランプリを受賞します。

「勉強をして自分なりに解釈して醸造しましたが、受賞してから怖くなりました」。ビギナーズラックで終わらないよう、より精進しようと思っていた矢先、皮肉にもグランプリ受賞を機にワイナリーの価値が上がり、親会社がワイナリーを売ってしまったのです。

 
井上さんは醸造を続けたかったものの、親会社に呼び戻されて帰国。日本では営業本部長の役職に就き、醸造とは無縁の仕事をしていました。2007年にゲーム会社のカプコンから、カリフォルニアのナパ・バレーでワイナリー「 KENZO ESTATE」の立ち上げを手伝ってほしいと頼まれたことをきっかけに、ワイナリーコンサルタントとして独立。世界や日本各地でいくつものワイナリーを立ち上げていきます。

醸造への思いを抱えながら、立ち上げや運営の仕事を任される日々。だからこそ「たてしなップルからワイナリーの立ち上げと醸造を任せたいと依頼を受けたときは、とてもうれしかった」と井上さんは言います。

「身体が動くうちに、もう一度発酵と向き合い、あの感動を味わいたいと思っていたことや、日本ワインの銘醸地である長野でワインを造れること。それはとても魅力的な依頼でした」
 

 
「また飲みたい」と思ってもらえるワインのために

たてしなップルワイナリーで醸造責任者を務めながら、J.S.A.認定ソムリエの資格も取得しました。

「ワインを造る側の経験は豊富ですが、飲み手としての経験はどうなのか。ワインを評価する明確な基準が知りたいと思いました。今までソムリエの評価に納得できないこともあったのですが、造る側と評価する側、両方の視点を持つと、ニュートラルな考え方でワインを見ることができ、視野が広がりました。60歳を過ぎて〝年寄りの冷水〟と言われるかもしれませんし、今までワインを造ってきたプライドもありますので、プレッシャーがすごかったですね」

安曇野市からぶどうを仕入れて造ったワインは現在、樽熟成中ですが、予約で完売しており、おもに飲食店で提供されることになっています。国際ワインコンクールのグランプリを受賞した醸造家が造ったワインへの期待値の高さがうかがえます。
 

気軽にシードルを楽しんでほしいと、フルボトルとハーフボトルのほかに200mlのミニボトルも。お土産として観光客に人気。自社醸造のほかに日本酒の古屋酒造店へ委託醸造したシードルも。サイズ展開に加え、微甘口・中口・辛口とシードルの種類も豊富

シードルはアンセストラル製法(瓶内一次発酵)という、発酵途中で瓶詰めする昔ながらの製法にこだわっています。

自然発泡させる場合、通常シャンパーニュ製法とよばれる瓶内二次発酵が主流です。一度発酵を終わらせてスティルタイプ(非発泡性)のワインを造った後に、再度酵母を添加し、酵母のエサとなる糖分を加えることで、もう一度発酵を促すのです。そして発生した炭酸ガスを液体に閉じ込めるという造り方なのですが、砂糖などの糖分を添加すれば、味わいにも影響します。

「補糖がだめということではないのですが、立科町のりんごは糖度が高く、芳醇なので、果実由来の糖分で発酵させ、よりナチュラルなりんご本来の味わいを大切にしています」。そうして井上さんが目指すのは「また飲みたい」と思ってもらえるワインやシードルです。
 

井上 雅夫さん

いのうえ・まさお

1957年、東京都出身。アメリカ・ゴールデンゲート大学院修了(MBA)、大手旅行会社勤務を経て、海外の免税店支店長を歴任。1989年カリフォルニア Sycamore Creek Vineyards の代表取締役最高経営責任者に就任。2001年、国際ワインコンクールで醸造したメルローが赤ワイン部門のグランプリに。複数のワイナリーの立ち上げに関わり、2019年からたてしなップルワイナリー醸造責任者に。

たてしなップルワイナリー

住所|〒384-2308 長野県立科町牛鹿1616-1
TEL|0267-56-2288
MAIL|info★tateshinapple.jp
(★を@に変えてください)
URL|https://tateshinapple.jp/
※来訪の際は要事前連絡

Cafe&Shop たてしなップル

住所|〒384-2211 長野県立科町大字茂田井2564-1
TEL|0267-56-3555
営業時間|10〜18時
定休日|水曜
HP|https://www.facebook.com/tateshinapple

取材・文/坂田雅美  写真/平松マキ
2022年03月15日掲載