vol.48 いにしぇの里葡萄酒
稲垣 雅洋さん
古の歴史を宿す地の
新たなワイナリー
交通の要衝地、そして領地争いの地
塩尻市から飯田市を抜け、愛知県へと続く国道153号は、かつては三州街道と呼ばれました。江戸時代には馬を使って荷を運ぶ「中馬(ちゅうま)」が盛んで、三州からは塩や陶器が、信州からは米や麻が行き交い、宿場には問屋が置かれました。
中山道の塩尻宿から、善知鳥(うとう)峠を越えた、最初の宿場が小野宿です。地図を開けばわかりますが、小野は塩尻市と辰野町をまたいで位置します。
かつてこの地は、松本城主の石川氏と飯田城主の毛利氏が領地争いで対立し、豊臣秀吉の裁定によって分けられました。今でも北小野地区が塩尻市、小野地区は辰野町です。
さらに神社もふたつに分けられて、北小野にある小野神社の、境内を接して隣接する矢彦神社は辰野町の飛び地となっています。
通学区は一緒のため、北小野と小野を合わせて両小野と呼び、地域振興も合わせて行われています。
善知鳥峠は分水嶺であり、松本平と伊那谷の界に位置します。北小野は塩尻市とはいえ、桔梗ケ原とは立地も歴史もまったく異なるのです。
料理とワイン、両方を自分の手で
2017年、北小野に新たなワイナリーができました。小野神社のすぐ近くで生まれ育った稲垣雅洋さんが、実家の敷地にワイナリーを構えたのです。
稲垣さんは都内のフランス料理店、イタリア料理店、創作料理店などに勤め、料理長も経験しました。ワインは店で扱っていたものの、当時はそれほど興味はなかったといいます。
自分の店をかまえる心づもりをしながら、30歳を目前にして帰郷。その時に、生まれ故郷の塩尻市がワインの産地であることを再認識します。
たまたま募集されていた信濃ワインの収穫アルバイトに参加。そこで知り合った伝手を頼り、城戸ワイナリーで半年間のぶどう栽培とワイン醸造を手伝うことになります。
「城戸さんのワイン造りに接して、それからワインを造っている人たちの勉強会に参加して、みなさんの熱い思いを感じました。日本のワインはすごいと思いました」
ワイン造りに関わる人の情熱に触れ、そして地元産ワインのレベルの高さを知る一方で、塩尻には地元産ワインが飲める店がないことに気づきます。そして2006年に構えたのが「ブラッスリーのでVin」でした。
小野の味を表現して、ワイン産地を面白く
自分の店をかまえつつ、ワイン造りへの思いを強く抱くようになった稲垣さんは、実家の畑でワイン用ぶどうの栽培を試みます。
霧訪山(きりとうやま)の麓に広がるゆるやかな傾斜地にピノ・ノワール、メルロー、シャルドネ、カベルネ・フラン、ナイアガラを植えました。
そして2014年に塩尻市が「塩尻ワイン大学」を開講すると、稲垣さんは第一期生となり、毎月1回、4年間の受講をとおして、栽培から醸造、経営までを学びます。
委託醸造を重ねながらワイン造りへの手応えを感じ、そして2017年、塩尻市のワイン特区制度を活用した第1号として、いよいよワイナリーを設立しました。
自農園とワイン大学の仲間のぶどう、合わせて6トンを収穫し、初仕込みとなりました。そのうち早飲みタイプのナイアガラとマスカットベーリーAをリリースし、自分の店と塩尻市内の酒販店で発売しました。
「桔梗ケ原との味のちがいを表現して、ワイン産地をさらに面白くしたいです。いつか小野の歴史も楽しめるようなオーベルジュを作りたいですね」
稲垣さんの胸にもまた、ワイン造りへの情熱が灯っています。
(取材・文/塚田結子 写真/平松マキ)
稲垣 雅洋
いながき まさひろ
1977年、塩尻市北小野生まれ。松商学園高校、武蔵野調理師専門学校を経て、料理人に。都内のフランス料理店、イタリア料理店、創作料理店で勤め、料理長も経験。帰郷後、ワイン造りに目覚める。2006年に地元産ワインを扱う自店「ブラッスリーのでvin」をオープン。その後、塩尻市主催のワイン大学校で学び、2017年にはワイナリーも構えた