vol.37 中棚荘
富岡 正樹さん
藤村文学を育んだ旅の宿が
家族でぶどうを育て、ワインを醸す
老舗温泉宿がワインをつくる
小諸の「中棚荘」といえば、島崎藤村ゆかりの老舗温泉宿として知られています。
りんごを浮かべた初恋りんご風呂、江戸時代の旧家を移築した「はりこし亭」での和の創作料理など、旅人だけでなく地元の人々にも愛されています。
その中棚荘がぶどうを栽培し、評判のいいオリジナルワインをつくっているのをご存知でしょうか。
中棚荘の5代目荘主・富岡正樹さんが、初めてシャルドネを植えたのは2002年。
さらに2009年からはメルローとピノ・ノワールを育て始めました。
2007年にはマンズワインに委託醸造して、単独畑としてシャルドネを仕込むようになりました。
「ラベルだけでなく、中身もこの土地で私が丹精したぶどうだけでできた本物のオリジナル。やっとお客様にお出しできるようになったのはうれしかったですね」
15年以上を経た今、中棚荘でのおもてなしだけでなく、販売もできる生産量に。委託先も新規生産者を応援するワイナリー「アルカンヴィーニュ」になりました。
今や中棚荘のワインはその味の良さで評判を呼び、NAGANO WINEのワイン会でも出品するたびに売切れご免の人気です。
「今では宿半分、ワイン半分」と言う富岡さん。旅館業だけでも目の回る忙しさのなか、なぜ荘主自らぶどうを栽培するのでしょうか。
じつは小諸の土を活かした農産物でお客様をもてなしたい、究極の農産物としてテロワールを色濃く伝えるワインをつくりたいという願いがあります。
また、農業の振興は景観を美しく保ち、旅館業を含めた観光にも大いに役立つと考えています。
以前から、はりこし亭で使うそばや小麦は自社農園で栽培。ぶどう畑の隣には、そば畑が広がっています。
粘土質の土壌を活かして
ピノ・ノワールを
「もともとこの周辺、御牧ヶ原台地では白土ばれいしょを栽培しているように、土壌は粘土質なんです。一般的にはワインぶどうには粘土質は向かないとされますが、降水量の少なさが幸いしています。標高は830メートル。2002年当時は向かないとされましたが、温暖化のおかげでいいぶどうがつくれるようになりました」
富岡さんが目指すのは、中棚荘の料理に合うワイン。地元産物を活かした和の創作料理とのマリアージュに優れたワインです。
「とくにピノ・ノワールは粘土質に適しており、他の品種より育てるのに手間はかかりますが、スパークリングに仕立てると和食との相性は抜群です」
旅館とワイナリーの両輪を
家族皆で支える
昨年、うれしいことがありました。在ベトナムのNGOでストリートチルドレンの教育に携わっていた三男の隼人さん(25歳)が、5年ぶりに帰郷してワイン部門に加わることになったのです。
さっそく、隼人さんは畑仕事を担い、「アルカンヴィーニュ」が主催するワインアカデミーの第1期生として栽培・醸造を学んでもいます。
「本当は父自身が勉強しに行きたかったみたいなんですよ」と笑います。
「日本を離れてみて、中棚荘の良さがわかりました。日本人としての誇りが持てる仕事です。手間を掛けただけ応えてくれるのも、教育と農業は似ていますね」(隼人さん)
2015年12月、隼人さんはベトナムから花嫁を迎えました。英語が堪能でホテルのフロントに勤務していた経歴を持つ女性です。中棚荘にも海外からのお客様、とくにアジアからのお客様が増えるなか、強力な助っ人と期待されます。
夫婦と3人の子ども・その配偶者が中棚荘を支える富岡家。後継者難の悩みなどまったくなく、事業展開を進めています。たとえば、はりこし亭での和の結婚式は、都会からのお客様がじわじわと増えています。
今、進めている事業がワイナリーの開設です。
「浅間山の雄姿、佐久平の夜景、北アルプスもよく見える景色のいい立地を探しています。ワインツーリズムの時代にふさわしい、レストランとショップを併設したワイナリーを計画しています」
(取材・文/平尾朋子 写真/阿部宣彦)
富岡 正樹
とみおか まさき
1956年小諸市。中棚荘5代目荘主。東京で経営学を学び、22歳で帰郷して家業に従事。地元食材を中心にした料理をめざし、白土ばれいしょ、そば、小麦などを自家栽培。2002年から、旅館で出す究極の農産物としてワインぶどう栽培に着手。シャルドネ、メルロー、ピノ・ノワールを栽培し委託醸造。ワイナリー開設を予定している。ソムリエ。利酒師。温泉療養指導士。