vol.19 Wa Yawata
渡辺 菊さん
輪をつなぎ、和をもたらす
そんなワインがつくりたい
京都市から千曲市へ、デザイナーからぶどう農家へ
千曲市八幡は、渡辺菊さんの父親が生まれ育ったところ、そして母親も6歳くらいまでを過ごしたところ。菊さん自身は兵庫県神戸市に生まれ、デザイン系の専門学校を卒業した後は、長らく京都市で住宅設備関連のデザイン事務所に勤めていました。
やがて父親が定年退職を迎え、生まれ故郷である千曲市に終の住処を建て、両親そろって移り住むことになります。菊さんも家づくりを手伝いがてら、たびたび千曲市を訪れます。
子どもの頃に見たきりだった千曲市の風景に身を置き、やがて菊さんは自分自身の生き方を見つめ直すようになります。「今の仕事をずっと続けていけるんやろか。70歳になった時、自分は何をしていたいやろか」
もともと父親の実家は、りんごと米を育てる農家でした。家の周囲にはりんご畑が広がり、すぐそばには名勝として名高い姨捨の棚田があります。千曲川が蛇行してできた平坦部には、水田と果樹園があり、そのなかにポツリとワイン用ぶどうをつくる畑もありました。
「ワインは好きやったから、今から新たにやることとして、ぶどうをつくるのもいいかな、くらいには思ってた」という菊さんは、千曲市に来ていたある日、そのぶどう畑を訪ねます。畑の持ち主は、この界隈でぶどう栽培の卓越した技術を持つことで知られる北澤昭男さんでした。
ぶっつけ本番ではじまったぶどうづくり
実は千曲市には20年ほど前にサントリーと契約を結ぶワイン用ぶどうの栽培農家がいくつかありました。契約が切れてからも唯一ワイン用ぶどうをつくり続けていたのが北澤さんでした。
「たまたま本屋で見かけた玉村豊男さんの本を読んで、もうちょっと続けてみるか、となったらしいです」。そして出荷先をまし野ワインに変え、ソーヴィニヨン・ブランとシャルドネの木は切られることなく、樹齢20年を越えるまでになりました。
菊さんは北澤さんのことを「聞けば何でも知ってる人、話せばほんまに面白い人」と話します。「近くに技術的に頼れるこんな面白いおっちゃんがいるんやったら、なんとかなるかな」。そうは思いつつ、いざ農家へと転身するには、まだしばらくの歳月を要します。
「北澤さんは『やったらいい』とも『やるな』とも言わへん。ぶどうでやっていけるのか、いけないのか、いくら考えても答えが見えへん。京都と千曲市を行ったり来たりしながら、5年くらいずるずると迷ってて『もう、わからんけど行くしかない』、最後はそんな感じでした」
長年勤めたデザイン事務所を辞め、千曲市へ引っ越したのが2011年3月のこと。そして新規就農者向けの研修を受けるため、小諸にある長野県農業大学校へ通うことを決めます。その矢先のこと。
忘れられない2013年
「北澤さんから『あそこの畑やる?』って電話がかかってきたんです」。生食ぶどうメインでやっていくことを決めた北澤さんは、ワイン用ぶどうの栽培を菊さんに託すことにしたのです。
そうしてぶっつけ本番ではじまった菊さんのぶどうづくり。最初の年は散々のできだったといいます。「だーっと病気が出てしまって、2反歩ほどの栽培面積から400kg弱しかとれなかったんです」
翌2012年には研修先であるヴィラデストワイナリーの指導や協力もあって、2トンまで収量を伸ばします。そしてシャルドネとソーヴィニヨン・ブランは委託醸造され、菊さん初のオリジナルワイン、その名も「Wa Yawata(ワ・ヤワタ)」が完成します。
「『八幡』にある『わ』たなべさんちのぶどう畑から『輪』と『環』がつながってできた1本のワイン。『和』や『話』のある食卓で味わってほしい」。そんな思いが込められています。
そして迎えた2013年は、菊さんにとって忘れられない年となりました。ぶどうづくりの師である北澤昭男さんが、農作業中に不慮の事故で亡くなったのです。
それでもぶどうは葉をしげらせ、実りをもたらします。営々と続く自然の摂理が、どれだけ菊さんをなぐさめたことでしょう。北澤さんからゆずり受け、菊さんが丹精したぶどうは、今年も無事ワインとなりました。
(取材・文/塚田結子 写真/平松マキ)
渡辺 菊
わたなべ きく
兵庫県神戸市出身。2011年、父親の地元である千曲市に転居して就農。故 北澤昭男氏の指導を仰ぎながらぶどう栽培に取り組む。ヴィラデストワイナリーへの原料供給のほか、2012年よりオリジナルブランド「Wa Yawata」を販売している。
Wa Yawata
ワ ヤワタ
所在地 ヴィンヤードのみ、ワイナリーはありません
TEL 個人宅のため記載は控えます