vol.97 有旅ワイナリー
田中啓さん、滝澤資大さん
妥協しないワインづくりで
有旅から世界へ

長野市初のワイナリーが誕生
2023年1月に長野市がワインシードル特区に認定され、2024年6月に長野市篠ノ井の有旅(うたび)地区に有旅ワイナリーがオープンしました。
長野市内にはワインも醸す日本酒蔵はありますが、ワイナリーとしては長野市初。竣工式には市長も駆けつけ「以前から長野市でもワイン用ぶどうが栽培されていましたが、ほかの地域へ原料供給されている状況でした。地元のワイン用ぶどうから地元でワインが造られることで地域活性化につながってほしい」とスピーチしました。
有旅は、長野市篠ノ井出身の田中啓さんが5年をかけて探した場所で、長野市民であれば遠足やお花見で1度は訪れたことのある茶臼山恐竜公園や動物園がある付近です。ジュラ期に海底だったミネラル豊富な海洋性土壌であることや、日当たりが良いこと、風通しが良いことなどがぶどう栽培に適しています。
そして環境にやさしいワイン造りをしたい田中さんにとって、農業集落排水(農業振興地区内の農村集落の生活排水などを処理する下水処理事業)が整っていることも重要な決め手のひとつでした。


世界中のワインメーカーと出会い、醸造家の道へ
田中さんは軽井沢「星野リゾート」や東京「ザ・リッツ・カールトン」、京都「ワイングロッサリー」などで10年以上ソムリエとして勤めていました。ワインのつくり手と話す機会があり、とくに京都の烏丸にあったワインバー「ワイングロッサリー」には世界中からワインのつくり手が訪れ、大きな刺激を受けたといいます。
「その年のぶどうの品質や土壌、気候がワインにどのような味のちがいをもたらすのか、つくり手の話は説得力があって、特にフランス・ブルゴーニュのつくり手から聴く話は伝統や文化も強く感じられて興味深かったですね」と田中さんは語ります。
ソムリエとして得た知識から出る言葉より、つくり手の生々しい実体験からくる言葉に重みを感じ、いつしか長野に帰り、耕作放棄地をぶどう畑に変えて自分もワインを造りたいと思うようになりました。
勇気を出して、長野県高山村でワイン用ぶどうを栽培する佐藤宗一さん(故人)を訪ね「ワイナリーをやりたい」と相談します。佐藤さんは大手醸造メーカーの契約農家として実績があり、国内外のワインコンクールでも受賞歴が多いカリスマ栽培家でした。
怒られるだろうと覚悟していたものの、佐藤さんは「帰ってこい。俺が教えてやるよ」と快諾。2016年から長野県里親研修制度を利用し、佐藤さんのもとで2年間研修しました。同時に千曲川ワインアカデミー2期生として学びます。


2018年からシャルドネやメルロー、ピノ・ノワールなどを植栽。2021年にヴィンヤード「Signature K(シグニチャーケイ)」をスタートさせました。
毎年、長野県農政部園芸畜産課が開催する講習会に積極的に参加し、基礎をしっかり学んで自分の畑に応用しています。「たとえば日本は樹勢が強いので、芽数を増やして樹勢を分散させたり、樹液の流れを意識したフランスの理論に基づいて剪定しています。これが難しいんですよね」と言いながら、田中さんは愛おしそうにぶどうの枝に触れます。
栽培と同時進行で高山村の信州たかやまワイナリーや北海道の10R(トアール)ワイナリー、中野市のたかやしろワイナリーでも修業しました。「それぞれ造りの異なるワイナリーで修業することでワインの可能性を感じました。とくに10Rワイナリーは野生酵母で亜硫酸も使わず醸造するので、徹底した衛生管理を学びました」と田中さんは振り返ります。

さまざまな栽培と醸造を学び、選果にこだわって収穫したぶどうを、たかやしろファームに委託醸造した「Signature K シャルドネ2020」はファーストヴィンテージながらGI NAGANOプレミアムを取得しました。
選果で取り除かれるぶどうは全体の1〜2%ですが、それが味わいの決め手になると確信に変わり、田中さんにとって「手間がかかってもおろそかにできない工程のひとつだ」と、迷いなく選果できるようになりました。




心強いパートナーとの出会い
田中さんの相棒で、おもに栽培を担当するのは滝澤資大(もとお)さんです。滝澤さんは塩尻市の老舗ワイナリー「アルプス」の技術部でワイン製造を行い、製造管理や工場稼働計画を任され、企画開発部で営業と販促も担当し、定年後の63歳まで勤めました。
2017年、60歳の時。実家のある七二会地区でりんご栽培をする叔父から「やめたい」と相談を受けます。そこで「アルプスで俺がやってこなかったのは栽培だけだからやってみたい」と思い立ち、りんご畑をぶどう畑に替えて引き継ぎます。
メルロー、シャルドネ、ゲヴェルツトラミネール、ジュース用のコンコードなど、さまざまな品種を栽培愛、一部は飯綱町のサンクゼールに原料供給しています。忙しいのは収穫時期だけと思っていた滝澤さんは「栽培が1年中忙しいなんて知らなかった」と楽しそうに笑います。
「竜眼に力を入れたいけど、あっさりした味わいだから栽培から考えていく必要がある。山梨県の甲州も良い栽培方法が見つかったから、きっと竜眼も個性が特出する栽培方法があるはず。農家みんなで研究しながら、誰かが良い栽培方法を見つけたら共有して、一緒に発展していきたいね」と言います。

栽培に徹するつもりだった滝澤さんは、田中さんからワイナリー運営に誘われた当初は断りましたが、今ではその情熱だけでなく、先を見通す堅実さを兼ね備えていると認めています。
「田中くん以外にもワイナリーをやりたいと訪ねてくる人はいたけど、みんなにやめとけって言ったのよ。いいワインができても販売が大変だから。でも田中くんはあきらめない。Rondinella(ロンディネッラ)とのご縁を引き寄せてきたし、あいつはすごいよ」
Rondinellaは有旅にあり、東京のパティスリー「メゾンビー」がはじめて地方に出店したカフェです。メゾンビーはバスクチーズケーキの火つけ役となった「GAZTA(ガスタ)」など東京・白金に5店舗を構えています。
有旅ワイナリーはメゾンビーのパートナーシップ会社「BEATUS(ビータス)」の一員として、BEATUSが経営する国内外の飲食店やリゾートホテルなどでワインを提供できることになったのです。世界品質を目指す田中さんの想いと、BEATUSの企業理念が重なったのです。

機能的なワイナリーで、ソムリエならではのワイン造り
田中さんが設計から携わったワイナリーには、長野県で4台しかない除梗機と大きな選果台などが導線に沿って並びます。「長野県内ほとんどのワイナリーを見学させてもらった」という田中さんは、それぞれのワイナリーの良いところを取り入れました。醸造室の床はタフクリートと呼ばれる素材で滑りにくいので作業しやすく、排水口は溝を切らずに汚れにくい構造なので衛生的です。
畑から収穫したぶどうを空調の効いた作業室で一晩冷やし、除梗機に上から投入すると、筒が回りながら梗と粒に分け、選果台に落ちてきます。その粒を手作業で選果します。「田中くんは選果台に両手をついて最後尾を陣取って、弁慶が五条大橋に立つみたいに、悪いものは何ひとつ通さないぞって見ているからね」と滝澤さんは笑います。
もろみごとプレス機に投入できるように破砕機とプレス機を並べて設置。出てきた果汁は醸造室のステンレスタンクにチューブポンプで送られます。
発酵が終わると仕込み用のステンレスタンクから、木樽とステンレスタンクに分けて貯蔵し、味をみながら最終的にブレンドして瓶詰めします。「木樽は効率的。満タンにすることで完全に密閉できますし、水分が蒸発した分を1週間に1度くらい補充していますが、蒸発した分、味が濃くなっているんです」

添加物は少量の亜硫酸のみ。通常は精製水で溶かすところを果汁で溶かすなど、細かいところにもこだわっています。そのうえで「ワインの発酵期間は 1か月ないので、醸造家としての期間は短く、そのあとはソムリエとしてワインを成長させていく感覚が強いです」と田中さん。
滝澤さんは「技術的に醸造することと、味をみて醸造することはずいぶんちがう。田中くんはセンスがいい。手伝いはするけれど、醸造に関して私は一切口出ししません」と信頼を寄せます。

田中さんは野生酵母にも興味があり、果汁に酵母を添加するタイミングを遅らせて、野生酵母で先に発酵させてから培養酵母を添加するなど、さまざまに試しています。「野生酵母のテイストは個性的なので、アクセントに感じるくらいが食事に合わせやすいと思っています」と、ソムリエならではの視点を大切にしています。
フラッグシップとなるワインは、日本での栽培が難しく品種特性を引き出すのが難しいピノ・ノワールと、ワインの出来がつくり手の意思に大きく左右されるシャルドネです。販売は首都圏が中心ですが、地元の人にもワインを楽しんでほしいと、ワイナリー併設のショップではボトル販売のほか有料試飲を予定しています。
目指すは「6次連携化」。地域で愛されるワイナリーに
2022年には地元の有志が有旅ワイナリーを盛り上げようと「有旅ワイン倶楽部」を結成しました。ぶどうの植樹や収穫を手伝い、ワイナリー併設のショップのオブジェを制作し、草取りなどをしています。冬にはワインを持ち寄って親睦会を開くこともあります。田中さんと滝澤さんは彼らの作った野菜などをワイナリーで直売したいと考えています。
有旅のまわりにはおいしいものがたくさんあって、ジビエや七二会特産のジンギスカンは赤ワインとよく合い、Rondinellaではデザートが購入できます。「ワイナリーに寄って、ついでに野菜や果物も買えて、夕食のメニューが決められる、そんな場所にできたらいいな。佐藤宗一さんもよく言っていましたが、6次産業化を1歩進めて、それぞれの産業を連携する〝6次連携化〟が大切なのだと思います」と、二人は異口同音に語ります。
ワイナリーの隣に全校生徒20数名の小学校があって、子どもの声やチャイムの音が聞こえます。2024年4月、子どもたちがワイナリーのまわりにワイン用ぶどうを植樹しました。「この子たちが二十歳になった時、有旅ワイナリーのワインを飲んでほしい」と夢は広がります。
田中 啓さん
たなか・けい
1979(昭和54年)長野市生まれ。2007年星野リゾート入社。2008年ソムリエ資格取得。ザ・リッツカールトン東京、ワイングロッサリーを経て、2016年に千曲川ワインアカデミー2期生となり、ワインメーカーへ転身。2018年ワイン用ぶどう栽培開始。2021年たかやしろワイナリーで委託醸造した初ヴィンテージの「Signature K シャルドネ 2020」がGI長野プレミアムに認定される。2024年有旅ワイナリー開設。
滝澤 資大さん
たきざわ・もとお
長野市生まれ。東京理科大の応用生物化学1期生。バイオリサイクルを学び、日本微生物化学に入社。発酵に興味をもち、1983年アルプス入社。ワイン製造・管理を担当したのち製造管理・工場稼働計画と、長野県外の営業も担当する。2017年定年退職後も嘱託として勤めながら七二会でぶどう栽培開始。2019年信州たかやまワイナリーで研修。2021年サンクゼールに委託醸造して「NISASOメルロー2020」をリリース。2024年有旅ワイナリー開設。
有旅ワイナリー
うたびワイナリー
住所|長野県長野市篠ノ井有旅1189-1
電話|026-299-4120
URL|info@utabi-winery.co.jp