vol.96 TOMORROW WINES
田村稔さん、小園萌恵さん

父がつくり、娘が広める
尾野山の自然をうつすワイン

vol.96 TOMORROW WINES<br>田村稔さん、小園萌恵さん<br><br>父がつくり、娘が広める<br>尾野山の自然をうつすワイン

京都で営む「ワインと野菜とお肉のお店」

田村稔さんは、京都で「焼き肉の大拙(だいせつ)」を営んでいます。長岡京市と向日市(むこうし)にある店は、最高級の和牛だけでなく、全国から仕入れる有機野菜のおいしさも評判です。

特筆すべきは自家製ナチュラルワインがあること。ワインリストにフランスやイタリアなどのワインとともに並ぶのは、もちろん田村さんのつくる「オノヤマビッキ」のルージュとブランです。

お肉だけでなく、生産者から仕入れる野菜のおいしさも魅力のひとつ ©︎焼き肉の大拙
息子の泰之さんはソムリエ資格を持ち、料理と合わせてワインを提案してくれる ©︎焼き肉の大拙

田村さんがワインづくりを志したきっかけは、2011(平成23)年のユッケや牛レバーをめぐる事件が焼肉店業界を直撃したこと。加えてリーマンショックによる日本経済の急速な悪化もありました。

「飲食業を支えるもうひとつの柱が欲しいと思っていました。ある日、書店で手にした雑誌で玉村豊男さんの記事を読み、『これだ!』と思ったんです」。妻の幹恵さんの了解を得て、2015(平成27)年に千曲川ワインアカデミーの一期生となります。

店は息子の泰之さんと幹恵さん、信頼するスタッフに任せ、田村さんは上田市にアパートを借り、週末のみ京都に戻る生活をはじめます。「ワインづくりをはじめるにあたって、週末は京都に戻ることが妻との約束でした」。その約束は今も続いています。
 

開墾中の事故も乗り越えて

ワインアカデミーで学ぶ傍ら、Googleマップを手に農地を探しまわります。「市役所の方に耕作放棄地の情報をもらって実際に行ってみたり、とにかく歩きました」。そんななかで、理想の地に出会います。

場所は上田市生田の尾野山。自然豊かな里山に、歴史と文化の育まれるところです。かつて尾野山城は真田昌幸が軍事拠点とするほど眺望に優れ、今は地区の玄関口に信州国際音楽村があります。「幸いなことに地主さんが行政関連の方で、すぐに借りたいとお願いしました」

畑のある尾野山にかつてあった山城は、真田昌幸が対岸に陣取った徳川家と対峙したところ。陣場と呼ばれるかの地には今、シャトーメルシャン椀子ヴィンヤードが広がっている

畑の標高は650m。かつて棚栽培のぶどう畑があり、雑木の茂る荒廃地となっていた南向きの斜面は、眼下に八重原台地を見下ろし、左手には浅間山を望みます。依田川の対岸にはシャトーメルシャン椀子ヴィンヤードが、千曲川の対岸には東御市の御堂ワイン団地も見えます。

アカデミー卒業後の2016(平成28)年から開墾をはじめ、きれいになった畑の一角には、大きな柿の木が立ちます。「秋枯れの風景のなか、柿の実だけがオレンジ色で、ほんとにきれいなんです。下にも実が落ちて、これは『落柿』がいいなと名づけました」
 

最初に開墾した畑は「落柿」と名づけた。大きな柿の木がシンボルツリー ©︎TOMORROW WINES

じつはこの開墾作業中に、田村さんは重機の下敷きになり、大ケガを負います。人通りのない畑で夕暮れていくなか、声を振り絞って助けを求め、近隣に住む人に気づいてもらい、助け出されたのです。

リハビリ期間を含めて3か月の入院中、アカデミー同窓生が変わるがわる農作業を進めてくれたといいます。多くの人の助けを得て、深い感謝を捧げながら、田村さんがコツコツと開墾してきた畑は、今ではひと続きで2.5ヘクタールになりました。

「『落柿』の反対側は、鬱蒼と茂っていた高い木を全部切って整地したら、『こんないい景色が広がった』と周辺の人たちが驚いて。それまで見えなかった『浅間山』を畑の名前にしました」
 

思いを貫き、醸すはナチュラルワイン

「ワインづくりを志した当初はボルドー系のワインをつくろうと思っていました」という田村さんですが、アカデミーでの受講を重ねるうちに、ナチュラルワインに惹かれていきました。

「山梨県のドメーヌ・オヤマダの小山田幸紀さんが栽培の講師に来てくださったり、ナチュラルワインをつくる人たちとお話しするうちに、その生き方に惹かれたんです。ワイン自体も非常にやわらかくて、料理に寄り添ってくれるなと思いました」
 

少しずつ開墾し、斜面の上まで一面に続く圃場となった。赤ワイン用品種はメルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネフラン。白はソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、ピノ・グリ、プティマンサンを栽培している ©︎TOMORROW WINES

田村さんの畑では、殺虫剤や除草剤、化学農薬を使わず、化学肥料だけでなく外部から持ち込む肥料を施しません。できるだけ自然に近い環境に近づけるため、不耕起の草生栽培をしています。また、ぶどうのひと房ずつにロウ引きの傘をかけて雨を避けるなど、とても手間のかかる作業をしています。
 

手入れの行き届いた畑で健全なぶどうが育つ ©︎TOMORROW WINES

そして迎えた初収穫の2018(平成30)年。アルカンヴィーニュでの初醸造では、大事に育てたぶどうを自然酵母で醸しました。盤石かつクラシックに醸すべきというアカデミー醸造責任者との、どちらも引かぬ折衝があったようですが、最後は田村さんの思いを通しました。

「失敗しても全量買い取るし、迷惑はかけないという約束のうえで、やりたいようにやらせてもらいました。2022年の委託醸造の際は、梗も取らない全房でやっちゃった」。田村さんが楽しそうに振り返るのは、同窓生だけでなく、恩師たちとの良き関係が築かれている証です。
 

銘柄は「オノヤマビッキ」。ビッキはアイヌ語でカエルのこと。エチケットのイラストは田村さんの手によって尾野山に棲息する生き物たちが描かれている。真ん中のシルエットは、畑近くに営巣する大鷹

 
娘一家の移住とワイナリー建設

娘の萌恵さんは、父が思いを貫いた2019年初リリースのワインをはじめて飲んだとき「これはおいしい!」と感動し、「父にはつくりたいワインをつくってもらって、私はそのワインを売りたいと思ったんです」と言います。

「こんなにおいしいんだから、自分たちの店で出しているだけではもったいない。父のつくるワインを、もっと広く知ってほしい」。そう思った萌恵さんは、当時は東京都内のアパレルメーカーに勤めていましたが、いずれ自分も上田市へ移住することを心に決めます。

田村さんはといえば「娘から上田に行くつもりだとは聞きましたが、その次に会った時には家族が増えると聞かされて、これはのんびりしてられないぞと」。ワイナリー建設が本気モードに切り替わり、「そこからエンジンがかかりました」

田村さんはワイナリー建設に向けて奔走し、萌恵さんは結婚と出産を無事終えて、2024(令和6)年、ワイナリーの建設がはじまりました。6月には萌恵さんが家族とともに上田市へ移住して、そして8月にワイナリーが竣工。自社初仕込みをむかえました。
 

ワイナリーは信州国際音楽村のすぐそばにある。2025年には併設のショップが完成予定

メルローは熟度によって、除梗したもの、一部全房、すべて全房に分けて仕込みました。「全房は、梗までしっかり熟したものだけ。青みが残っては困りますから」と田村さん。2024ヴィンテージは、どんなワインをリリースできるかは未定とのこと。

「ワインをつくることはできても、売るのが大変」と田村さんは言います。「売るのは萌恵におまかせ」

萌恵さんいわく「友だちから『どこに問い合わせたら買えるの?』と聞かれる状態」。赤ちゃんを保育園にあずけながら、ホームページを立ち上げ、SNSを稼働させ、チラシを作り、イベントに参加し、はじめての営業にも出かけました。

2025(令和7)年中には、ワイナリーに併設してテイスティングルームのオープンを予定しています。「もっと身近に私たちのワインをお試しいただけるように。楽しみにしてくださるとうれしいです」
 

上で除梗・破砕・搾汁し、下にタンクを置き、重力を利用してポンプを使わずに、もろみや果汁を移動できる。段差のおかげで小柄な萌恵さんも櫂入れがしやすい
メルローはステンレスタンクでじっくり低温発酵し、古樽に移して熟成させる。メルロー2022ほか赤ワインは完売しているので、次のリリースを楽しみに待ちたい

田村 稔さん

たむら・みのる

1961(昭和36)年生まれ、山形県出身。食品会社に勤務後、起業して京都に「焼き肉の大拙」を開店。2015(平成27)年に千曲川ワインアカデミーの一期生となり、京都と上田を行き来しながら上田市の畑を開墾。2024(令和6)年にワイナリーを設立した。

小園 萌恵さん

おぞの・もえ

1993(平成5)年生まれ、京都府出身。兄と弟にはさまれた田村家の長女。都内アパレルメーカーで勤務後、2024(令和6)年に家族とともに上田市へ移住。父と畑に立ちつつ、ワイン販売を担う。

TOMORROW WINES

トゥモローワイン

住所|上田市生田150

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取材・文/塚田結子  写真/平松マキ
2025年02月28日掲載