vol.95 Cave de Mido 小山英明さん
地域のワインづくりを支え
御堂からワイン文化を体現する

東御市祢津・御堂と隣り合う十二平から
東御市祢津の御堂は、かつて一面の桑畑が広がっていましたが、蚕業の衰退とともに畑は荒れ、雑木の茂る山林となっていました。1990年代の終わり、ここに宝酒造がワイナリー建設を計画し、地権者たちはワイン用ぶどう栽培のための用地を取りまとめ、開墾を待つばかりとなっていました。
その広さ20〜30ha。標高740〜850m。当時も今も、まとまったワイン用ぶどう畑としては本州最大規模です。しかし、2001(平成13)年に宝酒造は計画の中止を決め、広大な荒廃農地はそのまま残されます。
小山英明さんは2006(平成18)年から御堂に隣り合う十二平に農地を借り、ワイン用ぶどうの栽培をはじめました(ここまでの経緯については、この記事(vol.10リュードヴァン)に詳しくあります)。本来は御堂のような開けた高地で大規模かつ効率的なぶどう栽培をすることが、ワインの産業化には不可欠だと小山さんは考えていました。

しかし、まずは借り受けた荒れ放題の段々畑に向き合い、伐採・抜根・整地、そして植栽をくり返し、かつてのりんご畑をひと区画ずつ、ぶどう畑へと再生していきました。
「十二平は昭和50年代にりんご団地として造成されましたが、僕がここに来た頃には8割方が雑木林になっていました。りんご農家が一代として続かない。とてもおいしいりんごができるのに、事業として継続しない。だから、りんごが産業として根づかなかったんです」
コツコツと開墾を続けながら、小山さんは2010(平成22)年にワイナリーを設立します。その名は「リュードヴァン」。「ワイン通り」を意味する名前に込めた願いは、ぶどう畑とワイナリーにつながる通りから、ワインのある暮らしが広がっていくこと。その実現のために法人化し、社員をむかえて体制を整え、カフェ&レストランや宿泊施設の運営もはじめました。
その姿は信頼を集め、地域の人の心を動かします。「最後まで人を雇ってりんご畑を続けてこられたおじいちゃんが辞めることになって、その畑を任されました」。同じように任された農地が集まって、今では十二平に7haのぶどう畑が連なります。


御堂でのワインづくりを支える裏方として
十二平に呼応するように、御堂が動き出していました。「ここに住んでみてわかりましたが、地域の顔役といえる方たちがひと肌脱いで、御堂をこのままにしておいていいのかと、140人以上の地権者のみなさんを取りまとめてくださっていたんです」
小山さんも加えた地域組織の役員が市やJAと協議を重ね、2016(平成28)年には御堂をワイン用ぶどう団地として再生する事業が県に採択されます。翌年から造成工事がはじまり、2021(令和3)年)に28haのワイン団地が完成しました。

リュードヴァンとカーヴ・ド・ミドウも含めた東御市のワイナリーや個人事業主など9つの事業者が参画し、2020(令和2)年から順次ぶどう栽培をはじめています。カーヴ・ド・ミドウは、御堂でのワイン事業を支えるために小山さんが新設した会社です。

圃場は大きく5段に分かれ、大型の重機を用いて切り土と盛り土で造成されました。農作業の機械化を見越して広い舗装路が圃場を縫うように整備され、道に面した長大な土手が5段を区切っています。
この土手がじつは難物で、急峻な法面の雑木・雑草対策が困難なだけでなく、景観をさえぎり、自然の排水経路もさえぎってしまいました。せっかく植えた苗が広い範囲で生育不良を起こし、追加で排水路の整備工事は行われたものの、そもそも「僕らは散々、土手は作らないでくれと要望したのですが」と小山さんは振り返ります。

「雑木林だった御堂を調査のために歩いた時、大雨になると水が集まって川になる場所がありました。そういう自然の地形を生かすべきだったし、伐採・抜根して整地すれば地表の腐葉土も生かされたはず。ぶどう畑は人為的なもので、人が関わったからには、人が手を入れ続けなくてはならない。本来は自然の力を生かして、時間をかけて関わっていくべきなんです」
早くも雑木の幼木が生え出した土手を見上げながら、小山さんは言います。「放っておいたら、御堂はまた雑木林に戻ってしまう。そうならないためにカーヴ・ド・ミドウをつくったんです」


リュードヴァンを支える裏方として
2024(令和6)年、御堂の圃場を見上げるワイン団地の入り口に、カーヴ・ド・ミドウのワイナリーが完成しました。「御堂には千曲川ワインアカデミーを卒業してぶどう栽培をはじめた方もいます。ここは、そうしたまだワイナリーを持たない人たちのワインづくりや販売を支援する場になります」

小山さんが長年の経験から選び、5haの御堂圃場に植えたのは、ソーヴィニヨン・ブランとピノ・グリです。「どちらも前半期に収穫できて、この地に合った品種なので、傷みをあまり気にすることなく、人海戦術でどんどん収穫してもらいます」
「御堂でのワインづくりで重要なのは、いかに地域のみなさんに飲んでいただけるよう、価格をおさえるか。だから上質であることは前提として、ぶどうもワインも、いかに効率的に生産するかを追求しました」
畑では立ったまま収穫できるよう、ぶどうのなるフルーツゾーンが高めにくるように苗を仕立て、ワイナリーには最新の除梗・選果機を導入しました。また、ステンレスタンクで発酵させたワインは樽熟成はせずに、春にはビン詰めしていきます。
「ソーヴィニヨン・ブランはフレッシュ&フルーティな状態が一番おいしい。ピノ・グリは特徴的な香りはないけど、口に含むと深い味わいがある。日本の家庭料理には、ソーヴィニヨン・ブランとピノ・グリがぴったり合います」




ところで、ワインの樽熟成は行わないと言ったはずのワイナリーに、樽庫があるのはなぜでしょう。「樽の中に入れるのはワインではなく、りんごのブランデー、カルバドスです」
リュードヴァンでは、旧東部町産のりんごを使ったシードルをつくっています。シードルはりんごを搾ってジュースにし、発酵させたりんご酒をビン詰めして二次発酵させますが、ビン詰めせずに蒸留して、樽で熟成させるとカルバドスになります。


「僕は長年、ぶどう栽培とワイン醸造をやってきましたが、いい年と悪い年はくり返し。どちらも50%の確立です。こんなにハイリスクな商売はないですよ。このジェットコースターのような経営を支える商品が必要です」
そこで、いずれはカルバドスをベースとした商品を、カーヴ・ド・ミドウブランドとしてリリースしたいのだと小山さんは言います。「リュードヴァンのワインづくりを支える象徴的な商品になると思います」。カーヴ・ド・ミドウは、御堂のワインづくりだけでなく、リュードヴァンを支える存在でもあるのです。
「まずは自分たちの事業が継続しなければ、産業は育ちません。産業が成立すれば、文化として定着します。だから地元のワインが地元の人に必要とされ、ワインが暮らしに根づいた世界をつくりたいんです」。小山さんの思いは、リュードヴァンを立ち上げた頃から揺るぎません。その思いを具現化するための取り組みは、ここ御堂でも続きます。
小山 英明
こやま・ひであき
1967(昭和42)年生まれ、千葉県出身。大学卒業後に大手電機メーカーに就職。その後ワインづくりを志し、山梨県、長野県でワインづくりに携わった後、2006年から東御市の十二原でワイン用ぶどうの栽培を開始。2008年にリュードヴァンを設立。2024年にカーブ・ド・ミドウを立ち上げた。