vol.83 イルフェボー
落合良晴さん、北山博子さん
千曲市初のワイナリー誕生!
耕作放棄地の解消と地域のテロワールを求めて
はじまりはお年寄りの声
耕作放棄地の解消を願いワイナリーの道へ
千曲市は長野県の北部、北信地方の千曲川中流域に位置し、長野市や上田市、坂城町などと隣接、千曲川ワインバレー東地区に位置します。平安時代から観月の名所として知られ、万葉集や古今和歌集にも詠まれ、姨捨山のふもとの棚田に映った「田毎の月」が有名です。
近年、その棚田や段々畑が景観としては美しいものの、耕作地条件としては難しく、農家の高齢化や後継者不足も相まって、耕作放棄地となってしまう傾向にあります。耕作放棄地の解消が求められるなか、立ち上がったのが2022年9月に千曲市初のワイナリー「イルフェボー」を開設した落合良晴さんです。
ワイナリー名の「イルフェボー(IL fait beau)」はフランス語で「いい天気」という意味。地域が明るく住みやすい場所になるようにという願いが込められています。
落合さんは、特別養護老人ホームや訪問介護などの高齢者介護福祉施設で10年勤めたのちに起業。千曲市や上田市で高齢者介護福祉施設を20年近く経営していますが、施設を利用するお年寄りが「ここに来ることになって、うちの畑が耕作放棄地になっちゃった」と寂しそうに話す姿を見て「なんとかできないか」と考えていました。
そんな時たまたま見ていたテレビで、東御市でヴィラデストワイナリーを営む玉村豊男さんが「ワインは農業だ」と語り、ワインアカデミーの2期生を募集していることを知ります。
もともとお酒を飲むことが好きだった落合さんは「耕作放棄地の有効活用にワイン用ぶどうの栽培もいいかもしれない。ワインアカデミーが開講されるアルカンヴィーニュは自宅から近いし」と、応募すると見事合格。2016年からアカデミーと並行して早速ワイン用ぶどうの栽培もはじめました。
はじめに植えたメルローは、苗を入手できなかったので穂木をそのまま植栽しました。一般的には、樹液を吸ってブドウを枯死させる害虫「フィロキセラ(日本名ブドウネアブラムシ)」対策のため、本来はアメリカ原産品種の台木に穂木を接いだ苗を植栽します。
「あまり知らないままはじめてしまって、この畑は何年か後にフィロキセラがつくかもしれない。心配だけど、まだ大丈夫そう」と、ぶどうの木の異変を見逃さないように見守っています。
はじめは手探りだったワイン用ぶどうの栽培も、千曲市ですでに栽培していた先達に教えてもらったり、市内のヴィンヤードでつくる「千曲市ワインぶどう研究会」の仲間と勉強しながら6年が過ぎ、今では栽培や醸造を担う心強いスタッフも増えました。
ぶどうがなりたいワインを造るために
醸造家には「おいしい信州ふーど」大使でフード&ワインジャーナリストの鹿取みゆきさんの紹介で、北山博子さんを迎えました。山梨大学の醸造学科を卒業した醸造家です。
北山さんが高校3年生の時、進路に悩んでいると担任の先生に「あなたは少し変わったことをやったほうがいいと思うよ。ワインを造っている学科が山梨大学にあるけど、どうかしら」と勧められて興味を持ち、ワインの道へ進みます。同級生には、高山村の信州たかやまワイナリー醸造責任者の鷹野永一さんもいました。「ご縁ですよね。私は旧姓を塚田というのですが、名簿が名前順なのでよく同じ班になり、一緒に実験しました」と、楽しそうに当時を振り返ります。
大学卒業後はワインも取り扱う輸入商社に勤め、結婚と子育てを経て、もう一度ワインの世界へ戻りたいとの思いから、2014年に開校した塩尻ワイン大学を1期生として受講しました。
そしてスイス村あづみアップルの醸造家の内方知春さんのもとで修業した後に、複数のワイナリーで研鑽を積み、満を持してイルフェボーの醸造家となりました。
「内方さんは私の師匠。大学で醸造学は勉強したけれど、それまで現場を体験したことは一度もありませんでした。見よう見まねで必死についていきました」
「現場が楽しい」と語る北山さんは、栽培から、醸造、営業まで、すべてに携わります。栽培は、ぶどうが出すサインを見逃さないことが最も重要だと考え、病気になったら適切に対処できるように毎日畑を見回っています。
「畑を歩くのが好きなんです。ぶどうも気にかけてもらうとうれしいんじゃないかな。私もぶどうからパワーをもらっています」
果樹園だった場所は水はけが良いのでぶどうが必死で水分を吸い、味の濃いおいしいぶどうが収穫できるので、しっかりとした果実味を感じるワインができるのではないか。そして棚田だった畑は少し水分が多いので、日本酒に似たニュアンスのあるワインができるのではないかと、2022シーズンからはじまる仕込みをとても楽しみにしてきました。
9月半ば、1回目のシャルドネの仕込みがすでに終わりました。ぶどうがなりたいワインになれるよう、無言の要求に耳を傾け見守っています。
マルベックで「千曲市ブレンド」を確立したい
「千曲市ワインぶどう研究会」が2015年から試験圃場で、さまざまなワイン用ぶどうの品種を栽培した結果、マルベックの生育がとてもよかったので、千曲市はマルベックを市の主要品種として栽培していくことになりました。マルベックの苗を購入するときは市が半額補助してくれるなどのバックアップもあり、栽培するヴィンヤードが増えてきました。
イルフェボーでも自社畑にマルベックを植栽、少しずつ圃場を増やしています。「色も強くでるし、香りも高い。驚異的な力を秘めている品種だと思います。醸造する日が楽しみです」と、北山さんはマルベックの可能性に期待します。
9月初旬に糖度を測ると、23度まで上がっているのに酸が落ちていませんでした。酸が落ちていないということは熟しきっていないので、糖度がまだまだ上がります。しかし完熟を待って醸造すれば、糖度が高すぎてアルコール度数のとても高いワインができてしまいます。今年は収量が少なく、醸造には至りませんでしたが、収穫のタイミングや醸造技術、熟成期間など、研究を重ねて本番に備えます。
ボルドー地方にはカベルネ・ソーヴィニヨンとメルローを主体に補助品種としてマルベック、カベルネ・フランなどをブレンドした「ボルドーブレンド」があります。落合さんは、千曲市もマルベックを主体とした「千曲市ブレンド」を確立してもよいのではないかと考えています。
地域に愛されるワイナリーを目指して
「地元の人がいつでも気軽に訪れることができるワイナリーにしたい」と、ワインの有料試飲や、コーヒーも提供することにしました。見晴らしのよい眺めを楽しみながらくつろげるよう、前庭にテントと椅子やテーブルも設置。
「こんな時代だから、誰かがひとりぼっちにならないようにしたい」と、長年介護畑を歩んできた落合さんならではの視点です。
北山さんも「今まで委託醸造で造ってきたワインがお客様に好評なので、その基本路線をくずさないタイプに加えて、毎年新しいことにチャレンジしたワインがあると、ワイナリーを訪れたときにワクワクしますよね」。ふたりの息はぴったりです。
試行錯誤を続けて、さまざまなタイプのワインを造ることで、お客様が自分の好みに合ったワインを見つけられるようにしたいと、ふたりの挑戦ははじまったばかり。家ではもちろんのこと、地元のお祭や公民館での集まりでも飲んでもらえるよう、気取らず気軽に飲めるワインを造りを目指しています。
(取材・文/坂田雅美 写真/平松マキ)
落合良晴さん・北山博子さん
おちあいよしはる・きたやまひろこ
落合良晴さんは1974生まれ。長野市出身。高齢者介護福祉施設を20年近く経営していたが、利用者の畑が耕作放棄地になっている現状を知り一念発起。介護の現場で働きながら2016年にアルカンヴィーニュのワインアカデミー2期生となり、ワイン用ぶどう栽培を開始。2022年9月、ワイナリー「イルフェボー」を開設。
北山博子さんは1967年生まれ。大阪市出身。山梨大学醸造学科卒。ソムリエと利酒師(ききざけし)の資格も持つ。塩尻ワイン大学1期生。スイス村あづみアップルワイナリーやさまざまなワイナリーで研鑽を積んだ後にイルフェボーの醸造責任者となる。